みんなの声を更新しました

美作みんなの助産院「支援者の声」

“美作に助産院を!”と声をあげた田中ゆうきさん

 私は3人の子どもを京都で出産しました。1人目は大きな病院で、2人目は自然に産みたいと思い、ご縁があった助産師さんに来てもらって自宅出産しました。助産師さんには妊娠中から密な関わりで家族ごと包み込んでいただき、私自身はお腹の子どもと繋がり、本当の自分自身に触れていく、愛に溢れた妊娠期間を送り精神的に成長し、夫も一家の大黒柱のお父さんに成長させていただきました。
 さらに3人目の時は、赤ちゃんがお腹に宿るとき私が光に包まれたり、出産時に赤ちゃんがお腹の中から光に向かって産まれてくること、赤ちゃんにとってこの世界は光なんだということを感じる夢を見たり、不思議な体験がありました。社会では、後回しにされる、無いものとして過ぎていくような、神秘的なことが産まれるとか死に逝くとかというところにあって、神聖な世界に触れていくお産をするチャンスが妊婦さんの前には広がっています。体験をしたからには伝えたいと思い、この社会にとって向日葵のような光になる女性が増えたらいいな!と日々の行動をしています。
 2022年夫が転職し、岡山に移住することを決めた時、京都の家は助産師さんの活躍できる場所にしてほしいと思い立ちました。その流れで移住した美作市には20年以上お産できる施設がありませんでした。“美作市に助産院を!”と声をあげたのは必然の行動でした。お産って赤ちゃんを産むだけではなく、夢とか願いを産み出すってことだと思います。そういう意味で、いくつになっても、何回でもお産ができるのです。美作みんなの助産院は、同じ願いを持つ人たちのご縁が重なり、産み出されました。ちょうど、すごい奇跡的な確率で私たちの生命が誕生したように…その夢の物語を大切に育んでいきたいです。希望の未来がここから拡がっていることを感じます。美作みんなの助産院で夢を産み出し続けましょう。

元市議会議員の花田行玄さん

 私は美作市に赤ちゃんを産める産婦人科が20年以上前から無いことを問題視していました。日本を取り巻く様々な問題の中でも少子化対策が叫ばれていますが、人口が少ない過疎地域ほど産婦人科が無くなり子どもを産む環境は都市部に集中し偏っているのが現状です。
 美作市に出産できる環境が必要だと思っていたところ、京都から移住してこられた田中裕紀さんと知り合い、「美作では赤ちゃんを産めないので助産院をつくりたい。場所を探している。条件的に美作インターの近くが良い」という話を聞き、空き家を探す事になり、親切な人にお世話になりながらこの家に巡り合うことができました。
 令和6年4月、美作みんなの助産院の開院行事に出席させていただき、元大阪府立母子医療センターの北島博之先生と美作市萩原市長とのお話の中で「自然なお産」についてオキシトシンというホルモンが分娩に必須で痛みを和らげて子宮を収縮させ、分娩を進める。オキシトシンを分泌させるには、褒める事、支える事、摩るなどを継続的に行う事が大事で、胎児のオキシトシンは胎児自身の分娩中の痛みを和らげて、お母さんが気持ちの良いお産をすると、赤ちゃんの情緒が安定し泣かない子になる。その後心の発達にも影響するという話がありました。私は、助産院で出産されたお母さんの声を読んで、助産師さんに寄り添って摩ってもらい安心感リラックスしてお産ができた事や、助産院で幸せなお産体験はまた産みたい想いに繋がった等の声の意味、赤ちゃんとお母さんの体のメカニズムが分かりオキシトシン、幸せホルモンを増やす助産院での素晴らしい出産が理解できました。
  美作みんなの助産院が地域の宝物として、元気な赤ちゃんが誕生する事を願っています。

自然なお産を未来に繋げたい画家の澤裕美さん

 赤ちゃんは太陽です。
 生まれたばかりの赤ちゃんを見た瞬間、とほうもない大きな感情がこみ上げてきたのです。この世の創造と言うものの一端であることを実感し、体と心が震え、感動しました。
 彼女が生まれたのは1993年。当時すでにアメリカ式の出産が主流でしたが、私はなるだけ自然な形での出産を望んでいました。周りに私の望む出産方法を聞く人がいなかったため、本を中心に私は情報を集めました。日々歩く時間を増やし、乳製品は取らない食事、穏やかな時間を過ごすような生活など、自分で実践できそうなことをしながら、妊娠期間を過ごしました。イルカが出産を助けしてくれると言うことで、友人がイルカの声を送ってくれるなど、初めての出産には不安と期待が入り混じっていました。彼女が生まれてから7年間はできるだけ自分の手で子育てをしたいと思いました。布おむつ、母乳、添加物の少ない手作りの食事、刺激の強い音や画面等の人工物からなるだけ遠ざける生活。人にはいろいろなスタイルがあるでしょうか。このスタイルは私と娘には合っていたようでした。
 2回目の出産は自宅分娩にしました。その当時周りには自宅出産した友人が多くいたため、ごく自然とこの形へ導かれた様な気がします。長女の時より更に満足出来る出産で、産後もとてもリラックスできて、その夜赤ちゃんとぐっすり眠りました。
 子育てというものは親となる相手を育てていくもので、多くのことを学ばせて私を成長させてくれたのです。出産と子育ては人生において、私への最高の贈り物です。

美作みんなの助産院「助産師(出産サポートチーム)の声」

かなで助産院(勝央町)北村妙子さん

 令和6年4月6日、「美作みんなの助産院」開院おめでとうございます。院長の市川さんが毎日欠かさず大切にされている太陽も、一緒にお祝いしているかのようなとても穏やかな晴天でした。出産場所が減る一方の岡山県北の地に、分娩を扱う助産院を開業され、そのサポートチームの一員となれることを嬉しく思います。
 助産師というと、お産を手伝ってくれる人というイメージですが、それだけではありません。妊婦健診、産前産後、育児、思春期、更年期……と、本当に女性の一生を多方面から支えることができる力を持っています。それゆえ、個性的な方々が多いように感じます。それぞれが自分の想い、信念、確固たる芯を持っていて得意とするところを開業という形で力を発揮しています。
 市川さんは、「絶対、美作で分娩をする!」という曲がらない信念を持っておられます。女性にとっては一生のうちで数少ない出産体験、家族にとっても新しい命を迎える体験を、痛い、辛いだけのものにせず、幸せと思えるものにして欲しいと思っています。
 私たち助産師のみならず地域の様々な方々にサポートしていただきながら「美作みんなの助産院」を、本物の地域の助産院に育てていけるよう、微力ながら支援して行きたいと思っています。よろしくお願い致します。

こじか助産院(西粟倉村)猪田敦子さん

 女性にとって妊娠・出産は、よくも悪くも一生涯心に残る体験です。ご自身のニーズ(状況、体調、価値観)に見合った場所を選ぼうとも、実際には選択できる場所が非常に限られ、移動の距離や手段の面から妥協せざるを得ないのが中山間地域の現状です。このような地域で、助産院という「産む場所」「ニーズに対する選択肢」が増えることは、妊産婦さん、赤ちゃん、助産師にとっても、とても意義のあることだと思います。
 こども家庭庁が発足し、「こどもまんなか社会」を目指すと挙げています。こどもの誕生前からの育ちを見守り、こどもや女性の権利を守り、継続的なケアが求められます。助産院で継続的で個別的で思いやりのあるケアを受ける。このことが選択肢の1つとなる。それは地域の豊かさにつながると思います。赤ちゃん誕生までの丁寧な関わりの積み重ねで築かれた信頼関係が、安全なお産や満足なお産につながるはずです。助産師にとっても、継続的に関わることやお産に携わることは、助産の技術や知識を最大限に発揮できる場となるでしょう。助産院に関わる誰もが成長する場、相互に成熟していく場となりますように!

木のぬくもり助産院(吉備中央町)藤本千賀子さん

 助産院でのお産は、医療の介入はなく、お布団の上で、お好きな姿勢で、大切な家族に囲まれての温かい自然なお産です。
 誰一人、同じお産はありません。その方らしいお産、産む本能を感じられるお産になるよう、産む女性を大切にし、助産師が見守り、寄り添わせていただきます。
 もちろん、お産に向けてのカラダづくり、ココロづくりは手厚くサポート!妊娠〜出産〜子育てまで、一緒に伴走させていただきます。
 カラダとココロを全解放して、自分を信じて、赤ちゃんを信じて、心地よいと思える自分らしい出産を助産院でお手伝いさせてくださいね。

美作市在住 岩田好英さん

 私は、美作で産まれて美作で育ちました。助産師になり、総合病院で10数年、助産師として出産の場に立ち会わせて頂き、2年前にこの地に戻ってきました。
 私は、新しい命が誕生し、女性が母となり、わが子に会えた喜びと幸せに満ちた神秘的な瞬間と、力強くおっぱいを吸う小さな赤ちゃんの大きな生命力を感じる瞬間が、とても大好きです。一瞬一瞬に目が離せなくなります。
  自分自身も2人の子どもたちを出産しました。命の尊さ、愛おしさ…わが子に会えた時の喜びは、今でも忘れられません。そして、初めておっぱいを吸った瞬間の愛おしさと生命力といったら計り知れません。
 そんな自分の出産を通して、また、コロナ禍の1人で心細い中でのお母さんたちのお産をみてきて、ますます、自然なお産、家族に見守られて幸せと喜びに満ちたお産の大切さを実感しました。そして、自然豊かな美作の地域の温かさに触れ、地域の人たちに見守られ祝福されての出産、子育てを大切にしていきたいと思うようになりました。私も色んな思いを抱えながら2人の子どもの子育てをしています。
 女性のライフスタイルの中で、それぞれの年齢によって喜びや楽しみ、抱えている悩みも違います。お産を通して、子どももご高齢の方も、それぞれの年齢の方々が、この美作みんなの助産院に集い、一緒に喜び、楽しみ、悩みを相談し合い、学びあえる、そんな助産院になったらいいなぁと思います。
 多くの人が行き交う、幸せに満ちた助産院で、とっても素敵な助産師の先輩方から沢山学ばせて頂き、地域の方々の協力を得ながら、多くのお母さんや赤ちゃん、ご家族のお役に立てる助産師でありたいです。今から、皆さんにお会い出来ること、産まれ育った美作で助産師としてお役に立てること、とても楽しみでわくわくとドキドキが止まりません。  これから宜しくお願い致します。

県北で唯⼀の助産院を引き渡してくれた澁⾕奈津美さん

お産は⽣理的な営みで、もともとヒトには、産む⼒と産まれる⼒が備わっています。
その⼒を使わないことは、とてももったいないと、お産のお⼿伝いをしながら思っています。

お腹が空いてご飯を⾷べて、おトイレで出して、眠くなって寝て、というように、お腹に⾚ちゃんが来たら、その時が満ちたら産まれてくるんです。

助産院では、暮らしの中に、お産の⾵景があります。
お産とは、ヒトの⽣き⽅そのものでしかないんです。
あなたは、どんな洋服を着ると、⾃分らしさを表現できますか?
あなたは、何を⾷べると、幸せ感じますか?
あなたは、誰とどんな⾵に命を産み出したいですか?
選択できる事はあります。

そして、その時その時の⾃分と向き合うという⾏為そのものが、とても尊いのです。

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